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コンプラの向こう側へーーユリオカ超特Qがプロレスと漫談にこだわり続ける理由
プロレスファンにもお馴染みのユリオカ超特Q単独ライブ、90分ノンストップ漫談『第三十二回 Q展』が、いよいよ12月11日(日)東京・新宿区「ハイジアV-1」で行われる。ユリオカさんといえば、藤波辰爾や三谷幸喜などのものまねでも知られているが、芸の柱はものを使わずにしゃべりだけで勝負する漫談。...
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「猪木を生きて返すな」黒いジャンパー姿の男たちが襲撃…アントニオ猪木、伝説の“喧嘩マッチ”
 日本プロレス界の父・力道山は「プロレスはルールのある喧嘩である」と言った。ルールに基づいて行えば、どんなに激しい流血戦も、ただの喧嘩でなくプロレスになるのである。 しかし、時にはその範疇を越えた不穏試合や「喧嘩マッチ」と呼ばれる試合もある。今年10月1日に亡くなったアントニオ猪木(享年79)も、プ...
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馬場と猪木、8年ぶりの再結成!『プロレス夢のオールスター戦』の舞台裏
2022年、アントニオ猪木が設立した新日本プロレスと、ジャイアント馬場が設立した全日本プロレスが50周年を迎えた。今も多くのファンの心を熱くする70〜80年代の“昭和のプロレス”とは、すなわち猪木・新日本と馬場・全日本の存亡をかけた闘い絵巻だった。...
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「国民的ヒール」“金狼”上田馬之助が生涯貫いたレスラー魂
“金狼”上田馬之助の登場は、まさに衝撃だった。力道山がアメリカから日本に持ち込んで以来、プロレスは日本人がベビーフェース(善玉)、外国人がヒール(悪玉)という図式が基本。当時の少年ファンたちも、悪いガイジンをやっつける、日本人レスラーたちを一生懸命に応援してきたはずだ。...
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ジャイアント馬場の“猪木潰し” 「世界オープン選手権」に隠された罠
2022年、アントニオ猪木が設立した新日本プロレスと、ジャイアント馬場が設立した全日本プロレスが50周年を迎えた。今も多くのファンの心を熱くする70〜80年代の“昭和のプロレス”とは、すなわち猪木・新日本と馬場・全日本の存亡をかけた闘い絵巻だった。...
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新日本プロレス“秋の両国決戦”!アントニオ猪木さんを偲ぶセレモニーも
10月10日(月・祝)、恒例の新日本プロレス“秋の両国決戦”として『超実力派宣言』両国国技館大会が開催される。メインとなる第9試合のIWGP世界ヘビー級選手権試合では、王者・ジェイ・ホワイトに因縁の相手、タマ・トンガが初挑戦を果たす。...
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アントニオ猪木を撮り続けて半世紀。そばにい続けたカメラマンが明かした「最後の闘魂」
 猪木vsモハメド・アリ。  1976年6月26日。この試合だけはどうしても見たかった。まだ、大学生だったが友人と5000円のチケットを買って日本武道館に行った。短い時間だったが、幸運にもリングサイドでその試合を撮影することができた。1976年6月26日、日本武道館で行なわれた猪木vsアリ戦 その後...
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アントニオ猪木が生前に語った、アリ戦での挫折を救ったタクシー運転手の言葉と「引き分けでよかった」理由
 元プロレスラーで参院議員も務めた"燃える闘魂"アントニオ猪木さんが、10月1日午前7時40分、心不全のため79歳で亡くなった。1976年6月26日、モハメド・アリ(右)との試合を終えて握手を交わす猪木さん 猪木さんは、17歳だった1965年4月に移住先のブラジル・サンパウロで力道山にスカウトされ、...
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【追悼再録】あのアリ戦から40年! 猪木は今、何を思うのか... 「もう一回やってしっかり勝負つけたいね、ということにしようか」
「15ラウンドって長いんですけれど、あっという間だった」と、アリ戦を振り返る猪木「燃える闘魂」逝く...。週刊プレイボーイ誌上にて人生相談のコラム「風車の如く」を連載するなど、 週プレが追いかけ続けたスーパースター、アントニオ猪木さんが10月1日に亡くなった。週プレNEWSでは追悼の意を表して、20...
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【追悼再録】あのアリ戦から40年! 猪木自身が独白する舞台裏 「うぬぼれ、強かったからね。俺こそ世界一だと思っていた」
アリ戦実現には莫大なお金を要したが、「金でできるならばやっちゃおうじゃねぇか」「燃える闘魂」逝く...。週刊プレイボーイ誌上にて人生相談のコラム「風車の如く」を連載するなど、週プレが追いかけ続けたスーパースター、アントニオ猪木さんが10月1日に亡くなった。週プレNEWSでは追悼の意を表して、2016...
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